Q1:マルクス主義とは何ですか。
A:人類史を総括した理論体系で、経済条件など社会環境とそこで生きる人間の思想・行動との関係の関連を解明した理論(「唯物史観」)です。
マルクスはこれを明らかにしたことを通じて、生産手段の私有に基づいた少数の人間による圧倒的多数の人間の支配(階級支配)から人類を解放する道筋=プロレタリア世界革命の必要性を明らかにしました。そして、資本主義の労働者階級=プロレタリアートがこの革命の担い手であることを明確にしました。この運動の発展の先に「共産主義社会」の建設を目標とする思想がマルクス主義です。
この理論体系の基礎を確立した人物がカール・マルクスという人物なので、この思想を「マルクス主義」と呼ぶようになりました。
Q2:「共産主義社会」とは何ですか。
A:世界的な生産手段の共有化によって、特定の個人・グループが他人を支配して搾取する条件がなくなった社会を「共有して生産する・生きていく社会=共産主義社会」と呼びます。
資源や土地の獲得による排他的利益が存在しないので、その利益をめぐる争いもまた存在しないため、戦争のない社会です。人々が現実にさまざまな垣根を超えて協力して生きるということはこれまでの社会では不可能でしたが、それが実現された社会です。
Q3:「共産主義」と「社会主義」の違いは何ですか。
A:「社会主義社会」についてはさまざまな解釈がありますが、マルクスの『ゴータ綱領批判』のなかでは「共産主義の低い段階の社会」のことだと位置づけられています。資本主義を世界規模で打倒し、世界革命を達成したばかりの社会がこれになります。しかし、個々人の病気や性の違いなどさまざまな事情から生まれる不平等をめぐる、社会資源の分配についての課題は残っている社会でもあります。
社会主義社会における経験を通じて、人類の共同性が強まって生産手段の共有がもはや文化となり、さらに「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」(マルクス『ゴータ綱領批判』)ことが可能になるほどの生産力を人類が手に入れたとき、もはや資源の分配に制限をかける必要はありません。誰かが個人レベルでより多くとろうが、それをもって他の誰かがより少なく受け取らざるをえない、ということがないからです。このようなレベルに達した社会が「共産主義社会」です。
Q4:資本主義の何が悪いのですか。
A:資本主義は読んで字のごとく「資本の利益に基づいて生産する・生きていく社会」です。すべての人間が「生産性」に応じてその命と人生に値段をつけられ、生存競争にさらされます。
工場や大規模なシステムなど本来は個人で使うことのできない生産手段を、個人や大株主など小グループ(資本家)が所有していることが社会の前提となっており、生産手段が資本に独占されているので圧倒的多数の生産手段を持たない労働者は生きていくために資本に頭を下げて働かざるをえません。
資本家はこうして、多くの労働者を組織した生産活動の富を自分のものとして、さらに巨大な富を独占します。
他方で労働者は生きていくための賃金しかもらえず、また資本家のために働く・・・この無限のサイクル―少数者への富の集中と大多数の貧困―が資本主義社会の基本です。
資本家は労働者の搾取によって物心両面の余裕を持ち、資本家同士のコネや組織した労働力を動員して圧倒的な権力を行使します。そして資源や土地をめぐって他の資本家と闘争し、ときにそれは大戦争となって全人類を戦争の惨禍に叩き込みます。「経済成長のために人類を滅ぼす」ところへ行き着かざるをえないのです。
何よりも悪いことは、このサイクルを維持するために資本家は、労働者の団結・組織的抵抗を破壊し、ときにはアメで買収します。人間の誇りを暴力とカネで引き裂く社会であるということです。
資本家の富の源泉・巨大な生産力はまぎれもなく、人類が引継ぎ発展させてきた学問的地平と個の限界をこえて協力した結合労働の組合せから生まれています。人類の全地平を彼らは私物化し、自らの利益につながる見込みがなければ使わないのです。
私たちが自分がつくったわけではないものを消費でき、他人の発想・表現に笑ったり感動したりして豊かな生活を送れるのは、みんなの労働がつながり、命がつながっているからです。
(先祖も含めて)みんなでつくった富を、みんなのものに。生産手段の私物化=私有財産の廃止を! 共産主義者の根本的な要求はこれだけです。
Q5:資本主義のシステムが維持されるのはなぜですか。
A:資本主義経済の核心は「労働力の商品化」です。封建制のように資本主義以前の社会では、経済の基礎であった農業を担う農民階級は自分たちで生産手段(土地や農具)を所有していました。ゆえに、自分たちでつくったものを自らで消費し、暮らしていくことができました。お金をつかったやり取りは例外的なものだったのです。
ところが、農民が土地から追い出され、労働力しか売るものがない状況に追い込まれ、資本家によって雇用されるようになると労働力の対価はお金で支払われるようになります。こうして、彼らが日常的にお金でモノを買い・消費することで生活し、お金を手に入れるために働くようになると、生産―消費の人間生活の全活動が商品経済を基礎とするようになるのです。
もはや自給自足は不可能となり、自分が労働してつくったモノを自分が所有することもありません。すべてはお金でやりとりされるのです。
こうして、「会社あっての労働者」「お金がないと生きていけない」資本主義社会が確立します。生産手段を独占する資本家階級はみんなの労働の成果をお金で手に入れ、労働者は自らの労働力の値段しかお金を手に入れることはできません。だからといって資本家と労働者の経済格差がいくら大きくなろうとも、労働者は生きるために資本に従属するしかないのです。
マルクスは「賃労働と資本の関係は、政府・軍隊・警察・検察すべてを合わせたよりも強い支配の鎖」だと述べています。資本主義における資本家階級の支配は、人間の日常すべてを資本の運動に従属させ、封建制の支配のように生産の成果から暴力的に徴収する支配よりもはるかに強固に人間の精神を縛ることで行われるのです。
Q6:なぜ労働者階級の革命が階級支配の廃止になるのですか。
A:労働者階級の労働なくして資本は増殖することができません。農民や漁民を農業・漁業労働者に変えることはできても、労働者の存在だけはなくせないのです。
労働者は資本家と職場・生産拠点を軸に争い、資本家の財産権に基づく「施設管理権」や「営業権」と直接に対立します。つまり、労働者階級が資本の利益の「分け前」を要求しても資本が危機になれば結局解雇や賃下げ・労働強化などの犠牲になる、という関係を乗り越え、本当の勝利を得て賃金奴隷であることをやめるためには私有財産の廃止=階級支配の根拠の廃止を達成する必要があるのです。
フランス革命などのブルジョア革命は、貴族階級の土地支配に抗い、「個人の権利」を確立した革命でした。それは個人による私有財産の無制限の取得を可能にし、土地だけでなく、あらゆる生産手段を「買う」ことで封建制以上に「少数者への富と支配権の集中」を可能とした革命となりました。新たな支配階級として資本家階級が誕生したのです。
資本主義社会は、政治的には個人の意志を尊重する体制として民主主義を謳いますが、その実態は「カネの力で生産手段を独占した、圧倒的に強い少数の個人たちが全人民の上に立つ社会」です。このような意味でマルクスは資本主義を「ブルジョア独裁」と呼びます。日本の地方選挙では、地域の雇用を一手に担う土建業の社長など経済を握る人物が結局、政治権力を握る例がよくありますが、こういった構造を見れば「ブルジョア独裁」がイメージしやすいのではないでしょうか。
これに対して、プロレタリア革命で誕生する支配階級=労働者階級の革命は、資本家階級の支配と闘ってその存立条件の廃止を精神としながら生まれる権力です。それは必然的に他人の労働を支配する手段=生産手段の所有を許さないことで「階級支配(の根拠)を廃止する階級支配」を達成する権力なのです。
それは資本への暴力的・強権的侵害を当然に伴います。このような意味で、資本家階級の支配の復活に対抗するこの権力を「プロレタリア独裁」と呼びます。
そして何より、労働者階級の成長の過程は、資本家との闘争のなかで国境すら超えて世界規模で労働者階級が団結するプロセスなしにはありえません。つまり、団結と共同性、資本の利益のための無責任に対抗する「人類愛」の確立が新たな常識として勝ちとられることが、プロレタリア革命の実践的な成立条件なのです。
これまでの社会では永遠の理想にすぎなかった思想を勝ちとるプロセスがあるからこそ、プロレタリア革命は最も根底的な革命として位置づけられます。階級支配どころか、階級支配がはじまって以降の歴史の常識すべてを塗り替えていく過程を伴う革命だからです。
Q7:農民や小さな店・工場の社長なども大資本家に搾取されてます。彼らは革命の主体ではないのですか。
A:もちろん、自分用の土地を持っている、小さいけど自分の店舗を持っている人々(小ブルジョア)も大資本家と土地の使用料や経済競争上の条件をめぐって闘うことは多くあります。しかし、その闘争は階級支配の根拠を廃止するものではなく、自らの生存の保障を願って大資本家の特権・巨大な経済力を攻撃するものです。
彼ら小ブルジョアが革命的になるのは、自らの立場を捨てて労働者階級の一員として闘う場合です。大ブルジョアの特権に対抗して生産手段を確保しようとするのではなく、大ブルジョアの特権の根拠そのもの=生産手段の個人所有を廃止する立場にたって自らが所有する生産手段をいずれ社会に還元していくことを見すえて闘うときです。
労働者階級は、小ブルジョアに連帯して共に大資本と闘い、そのなかで「大資本との永遠の闘争」や「自分もいつか大資本になる夢」ではなく、階級支配の廃止へ向けて小ブルジョアと団結していく道を探す、あるいはつくる必要があります。
そうやって彼らを労働者階級の側に獲得することができなければ革命には至らないことは、歴史上初の労働者権力「パリ・コミューン」(1871)の敗北以来の教訓です。この道は1917年ロシア革命の際の「労農同盟」で端緒的に実現されたことはありますが、いまだ不十分な領域です。しかし、プロレタリア革命の性質上、避けてはならない課題です。
Q8:労働者階級が革命の主体なら、共産主義者は必要なんですか。
A:共産主義者は、常に生存競争のため・より良い労働条件を求めて資本にバラバラにされる労働者階級をまとめ、労働者階級の階級的利益を貫くために闘う「労働者階級の前衛」です。
資本主義社会においては普通、ほとんどの労働者階級は物心ともに余裕を奪われ「政治どころではない状態」(レーニン)に置かれています。だからこそ、共産主義者はマルクスがまさしくそうだったように最初は知識人層からその多くが現れるしかありませんでした。
しかし、闘争の歴史を通じて労働者階級と革命的知識人が結合して労働者階級出身の共産主義者も増えていくことで、共産主義者の党は真の革命党として成長していきます。党と労働運動、「前衛」と「主力」が相互に影響を与えあいながら労働者階級全体が成長していくプロセスが革命運動の実際のプロセスになります。
このような意味で、共産主義者の任務は「労働者階級を支配階級に高めること」(『共産党宣言』)といえます。労働者階級自身が支配階級に成長し、同時に階級支配の条件がなくなっていくなかで革命党は必要性を失って死滅するだろうと考えられています。
Q9:共産主義社会では国家はなくなるのですか。
A:その通りです。そもそも、国家は階級対立があるとき、そのままでは人々の間に非和解的・暴力的な闘争が起こらざるをえないときに生まれる、暴力を独占的に集中した特殊な組織です。
たとえば教科書でも説明されているように、階級の発生は数百世代にわたる試行錯誤の上に農耕や牧畜を発明したことによって、つまり100人の労働がそれ以上の数の人間集団の生存を安定的に保障できる生産力の発達によって始まりました。100人を働かせることで直接的生産に従事しなくても良い人間が存在できるようになったからです。
こうして人類は奴隷と奴隷主に階級分化しました。そして階級対立を抑え込み「秩序」を保つために奴隷主は武力を組織し、法制度をたてに政治支配を行うようになったのです。これが国家のはじまりです。つまり、国家は階級支配のための暴力装置なのです。逆にいえば、階級対立がなくなれば国家をなくすことはできます。
国家は社会から生まれる以上、結局は社会のなかで最も影響力のある階級=支配階級のものとして構成されます。
資本主義社会の国家も、選挙のときに労働者と資本家を同じ1票として扱おうと、資本主義を前提とした政治においては資本の利益を確保しないと税金もとれず、さまざまな国家の仕事も、労働力を動員できる企業と協力して運営するしかありません。ゆえに「平等な国民」は常にタテマエとなります。
資本主義社会の国家は自らの秘密を隠すため、その権力の正当性を宗教などの神話(日本の天皇制度)や、労働者民衆の間に現実に存在する文化的・歴史的差異とも複雑にからみ合いながら人々を「自国民」「他国民」に分裂させます。個々の国家内部においては、資本家階級と労働者階級の現実の違いを無視して「国益」「愛国心」といった擬似的な普遍性をもって「同じ国民同士の秩序」を形成するのです。
プロレタリア革命によって誕生する国家も「資本家階級を抑圧する国家」です。しかしこれは「少数の利害に多数を従わせる国家」ではなく、歴史上初の「多数(労働者民衆)の利害に少数(資本家階級)を従わせる国家」であり、「階級支配を廃絶する国家=国家機能を徐々に人民に移していき、死滅する国家」(レーニン)という特殊な性格のものになります。
Q10:なぜプロレタリア革命のために暴力が必要なのですか。
A:労働者階級の成長・その利害の貫徹は資本家階級が必要とする「秩序」と根本的・非和解的に対立するからです。
たとえば大規模なストライキは単なる抗議の方法であることを越えて、「ストライキをやめたとき、いつ・どのように労働を再開するか」の采配は労働者階級の指導部に委ねられることになります。つまり、このレベルの行動ができるほどに労働者の団結が強まり広がったとき、国家の生産すら労働者階級は握る可能性に至るわけです。
そのとき、資本家階級およびその同調者、資本家階級と協調して国家運営を長年行ってきた高級官僚・政治家・軍隊・警察は間違いなく暴力をもって鎮圧を図ろうとするでしょう。そもそも国家は軍隊や警察などの圧倒的な暴力を持っているのですから。
ゆえに、労働者階級は労働運動の発展を基礎にすると同時に、その最後の決戦をみすえた組織をつくる必要があるのです。
闘争の進展によっては、選挙などの合法的な方法で国家権力を握ることもあるでしょう。しかしその場合でも、チリのアジェンデ政権の例が象徴的なように、資本家階級は生産のサボタージュで応え、軍隊は反乱を起こします。そもそもプロレタリア国家は「資本家階級を抑圧する国家」であって資本家階級を説得して支配階級をやめていただく、などというものではない以上、新たな法律・労働者民衆によって組織された新たな治安組織によって資本家階級にその秩序を強制するのですから、それは表面上平穏な形をとろうと本質的には暴力革命です。
ブルジョア革命にも、「フランス革命」のような動乱もあれば、イギリス「名誉革命」のような無血・平穏な革命がありました。表面上はともかく、本質はどちらも暴力的・強権的に新たな「秩序」を旧支配階級に強制したものだったのです。
真実を語ることなくして人間は本気になどなれません。「共産主義者は、自分たちの見解と意図を隠すことを軽蔑する」(『共産党宣言』)。言論の自由などの権利の獲得度合い・社会環境によっては語れない・語らないことは確かにありますが、私たちはプロレタリア革命の達成とそれを通じて階級支配をもう終わりにしたいから、その実現に本気であるから「暴力革命」を掲げています。
Q11:ソ連や中国など社会主義を名乗る国がありますが、これらの国は社会主義なのですか。
A:まったく違います。私たちはこれらの国々を「スターリン主義国家」と呼んでいます。
「スターリン主義」の大きな特徴を述べるならば「一国で社会主義は成立する」という思想、そして「労働者階級の力と成長への軽視・不信」です。
そもそも一国で社会主義は成立しません。資本主義の強さは世界市場にあり、世界中の資源・労働力を資本のカネの力で動員し、集中された効率的生産ができることにあります。
一国で閉じられた経済では絶対にできない、そもそも地理的に産出できないものを世界市場を通じて手に入れ、組合せ、つくることができるのです。人間は社会的な動物ですが、それでも動物です。未知のものへの好奇心・質的豊かさを手に入れたいという欲求をなくすことはできません。欲しければ資本主義の生存競争に参加しなければいけないから、資本主義では動物的闘争が経済生活と切り離せなくなるのです。
ゆえに、社会主義は労働者階級の国際的団結によって資本主義の世界市場の力の根拠―世界的な結合労働を自らの力として管理すること、つまり世界革命によってしか達成できません。マルクス以来のこの定説をはじめてひっくり返した象徴的人物がスターリンであったことから「一国社会主義」を「スターリン主義」と呼びます。
よくスターリン主義は官僚支配一般と混同されますが、これは違います。
中国の毛沢東主義に象徴されるように、仮に真面目に一国で社会主義を成立させようと考えても、生活・生存を人質に労働者をぼろぼろに働かせることができる資本主義と対抗しようとすれば、当然ながら労働者民衆を生産力の向上のために管理せざるをえません。
革命後の中国共産党の政策は資本主義に対抗する生産力を手に入れるため、農作物を分配するのではなく価格を統制して国内で消費させないで輸出に回す、いわゆる「飢餓輸出」によって得た外貨で工業製品を買い、工業化を達成していこうとするものでした。
これは当然ながら農民・労働者の反発を招き、その反乱を押さえ込む必要にかられたのです。スターリン主義はこういった統制を達成するため、徹底的に官僚制を強化する結論に至るのがその特徴です。
スターリン主義の元祖・ソ連では同様に「スタハノフ運動」=生産性向上運動が強制され、帝国主義の軍事的脅威に対しては、労働者の国際連帯・反戦運動によって生産を軍事に動員させないようにする努力もせず、核兵器で対抗し、同じ労働者人民を破滅的兵器で脅して自らの「平和」を確保しようとしたのです。
そしてスターリン主義者は「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業である」(第一インターナショナル規約)という原則を否定し、マルクスが確立した「労働者階級が支配階級として成長していく先に根底的な革命がある」という革命の原理を実践的に否定するのです。
「革命を語る反革命」がスターリン主義であり、現代の「共産党」とは日本共産党を含めてほぼすべてがこれです。
だから私たちは、現代にプロレタリア革命を実現していくための運動の路線として「反帝国主義」と同時に「反スターリン主義」を掲げています。