「戦争責任追及し天皇制打倒を」(東京大学支部『決戦』)
戦争責任追及し天皇制打倒を
戦争と弾圧の歴史を繰り返さず、天皇制のない平和な社会を作ろう!
(2019.10.07 MSL東京大学支部)
新天皇(ナルヒト)が即位を公に宣言する「即位礼正殿の儀」とパレードを 10 月 22 日に控え、奉祝ムードが煽られつある。しかし、天皇制を語る上で昭和天皇(ヒロヒト)の戦争責任を避けて通ることは出来ない。かつて、天皇の権威のもとにナショナリズムと排外主義が煽られ戦争に突入したことを反省せず、いま再び天皇を礼賛することは、新たな戦争への道を歩むことになる。日本軍(皇軍)の侵略を受けたアジア・太平洋地域の犠牲者の無念に応えるためにも、二度と悲劇を繰り返してはならない。戦争責任を曖昧にする奉祝を拒否し、天皇制のない平和な社会を作ろう! (文責:セットプチフォッカ)
戦争の反省なき昭和天皇
先日、初代宮内庁長官の田島道治が昭和天皇との会話の内容を書き残した『拝謁記』の内容が NHK によって公開された。ほとんどのマスコミは、昭和天皇が戦争への後悔と反省を述べていたと報じたが、とんでもないデマである。実態は昭和天皇の無反省ぶりをとことん暴露するものだ。
『拝謁記』によれば、1952 年の日本の独立回復式典で、昭和天皇が戦争の反省を「おことば」の中で述べようとしたところ、吉田茂首相(当時)により文言の一部が削除されたという。しかし、この一節とは「国民の康福を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是(中略)であったにも拘わらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡に顧みて、悔恨悲痛、寝食為に、安からぬものがあります」というものである。ここでは、アジア・太平洋地域の人々に対する侵略へのお詫びの言葉など一言も含まれていない。昭和天皇が「反省」し「後悔」しているのは、アジア全体で 2000 万人の死者を出したことではない。連合国との戦争に負けて領土を失ったことをこそ、昭和天皇は「後悔」しているのだ。「呆れて物も言えない」とは、まさにこのことだろう。
昭和天皇の戦争責任は重大
そもそも、昭和天皇は開戦と終戦に責任を持つ人物でありながら、そのことに対する具体的な反省にも欠けている。軍部の力を抑えきれなかったことを「下剋上」と表現し、「下剋上」を止められなかったことには後悔を示す一方で、満洲事変後の米国対応不満を持ち「Huphes[米]国務長官がパールハーバーの奇襲をしたともいへる」(原文ママ、1950 年 12 月 1 日。「Huphes」は正しくは、1921-25年に国務長官を務めた Charles Evans Hughes)と開戦の責任を完全に開き直って、米国に転嫁している。
それだけではない。講和に関しては、「私ハ実ハ無条件降伏は矢張りいやで、どこかいゝ機会を見て早く平和ニ持つて行きたいと念願し、それには一寸こちらが勝つたような時ニ其時を見付けたいといふ念もあつた」(ママ、1952 年 3 月 14 日)と述べているのだ! 1945 年 2 月には近衛文麿元首相から敗戦は必至であり、国体護持のために即時停戦が必要と提案されるも、昭和天皇はこの「一撃講和論」にこだわり、いたずらに敗戦が引き延ばされた。その結果、沖縄戦や二度にわたる原爆投下など新たな悲劇を生み出すことになった。硫黄島で、沖縄で、太平洋の島々で、そして日本本土でも、日々多くの「赤子」(天皇の子どもという意味で日本国民を指して当時使われた用語)が死んでいった。昭和天皇はそれを重々知りながら、「どこかで勝ってから戦争を終わらせるべきだ」——こう当時も、そして戦後になっても考えていたのである。到底許すことのできない大悪人だ。
戦後も生き延びた天皇制
戦争への重大な関与にも関わらず、敗戦後も天皇制は存続した。「国体」すなわち天皇制を護持したい日本と占領政策への天皇の利用を企んだ米国両国の指導者の思惑によって、連合国が「戦争犯罪人」を訴追した極東国際軍事裁判(東京裁判)でも天皇は裁かれることなく、新憲法下でも「象徴天皇」として天皇制が位置づけられるに至った。
戦争責任の追及を逃れ、戦後も天皇の地位に居座った昭和天皇は、憲法で定められた「象徴天皇」という建前すら破って、政治への関与を続けた。1947 年 9月には、側近を通じ、米国による琉球諸島(沖縄等)の軍事占領の継続を希望しているとのメッセージをGHQ に送った。占領の期間を 25 ~ 50 年ないしそれ以上の長期と指定し、その方法や基地の使用手続きまで具体的な言及がなされている。この “ 天皇メッセージ ” もあって、米国による沖縄の軍事占領が肯定され、沖縄は 1972 年まで米国の施政権下に置かれることとなった。そして、そのことが現在に至る過重な基地負担に繋がっている。
また基地反対運動に関しては、「全体の為ニ之がいいと分れば一部の犠牲ハ已むを得ぬと考へる事、その代りハ一部の犠牲となる人ニハ全体から補償するといふ事ニしなければ国として存立して行く以上やりやうない話」(1953 年 11 月 24 日)と語り、戦前同様、国家体制のためならば少数の国民の犠牲を容認する考えを明らかにしている。
さらに、『拝謁記』には、他にも改憲や再軍備を肯定する発言を行い、側近から公言しないよう戒められる様子が収められている。
アキヒト、ナルヒトへの継承
昭和天皇の死後、天皇に即位した平成天皇(アキヒト)は「慰霊の旅」等によって「平和天皇」のイメージを定着させることに励んだ。しかし、昭和天皇同様、アジア・太平洋地域への侵略に対する反省の言葉は、一度として述べられなかった。そもそも、日本軍兵士も天皇の名のもとに命令されて、戦地に赴き、殺し殺されることを強制されたのであり、天皇の戦争責任を追及しない「慰霊」など、口先だけの慰めでしかなく、反戦や平和に繋がるものではない。近代に権力者が意図的に作り上げた「伝統」と血統の権威によって、民衆を国策に動員する天皇制の本質は変わっていない。排外主義、戦争と天皇制は一体だ。
2019 年 5 月 1 日の新天皇(ナルヒト)即位は、天皇制を強化する攻撃だった。あふれるような改元・即位キャンペーンにより、日本中を奉祝ムード一色に染め上げようと試みられた。都心には警官が多数配備され、戒厳令を想起させる治安弾圧体制が取られた。しかし、「5月1日は労働者の闘いの日だ。天皇即位でメーデーをつぶすな!」を正面から掲げた銀座デモが右翼の妨害にも屈さず敢行され、各労働組合・市民団体主催のメーデーも例年通り行われたことで、彼らの目的は完全に打ち砕かれた。
天皇制打倒に立ち上がろう
10 月 22 日には、「即位礼正殿の儀」とパレード、 11 月 14 ~ 15 日には皇室の重要儀式と位置付けられている大嘗祭が予定されている。これらは、莫大な税金を投入して行われる天皇制強化のためのパフォーマンスでしかない。同時に、テロ対策と称した統制も激化している。警察庁は、文科省を通じて、全国の大学・学校に「協力」を 9 月 11 日付で要請した。天皇制に反対する一切の動きを封じるやり方は、不敬罪をでっちあげ、民衆を弾圧した戦前の特高警察を彷彿とさせる。暗黒の歴史を繰り返さないためには、今こそ天皇の戦争責任を問い、天皇賛美を拒否しなければならない。
日本共産党を含む左派政党までもが天皇制翼賛に堕落していく中で、戦前回帰を許さず、天皇制を打倒しよう。タブーなく天皇制を批判できる健全な言論をキャンパスから作り出そう。
天皇制のない、平和で平等な社会を作ろう。10 月22 日と 11 月 14 日は反天皇制デモが行われる。これらのデモに集まり、天皇制打倒・反戦平和を求めて、思う存分声をあげよう! ■