「社会の矛盾を隠蔽する天皇制」(東京大学支部『決戦』)
社会の矛盾を隠蔽する天皇制
女性・女系天皇による天皇制存続反対
国民統合の「象徴」いらない
(2020.01.06 MSL東京大学支部)
皇位継承の危機の中で、女性・女系天皇を「容認」する議論が進んでいる。男系男子しか皇位を継げない天皇制が女性差別という指摘はもっともだ。しかし、そもそも天皇制とは資本家階級と労働者階級の融和を演出し、国家・国民への統合を強制する許しがたい制度である。野党ですら女性・女系天皇の議論に乗じて、天皇制容認へと転落した。そんな中、マルクス主義学生同盟中核派は一貫して天皇制反対を訴え、2019年の改元・即位キャンペーンによる祝賀ムードに抗ってきた。社会の矛盾を隠蔽し、種々の差別を生み出す天皇制を存続させることなく、廃止に追い込もう。
危機深める天皇制の延命策
今、天皇制は危機に陥っている。皇位継承者は、男系男子と定められているが、現状では次世代の継承者が現天皇・徳仁(ナルヒト)の甥にあたる悠仁(ヒサヒト)しかいない。女性が結婚後、皇族から離脱する現行規定のままでは、皇族の大量減少も考えられる。このような流れの中で、女性宮家、女性・女系天皇の「容認」論が浮上している。
一方で、保守派は、男系男子による皇位継承の「伝統」を維持するべく、特に女系天皇に反対している。自民党有志議員ら(「日本の尊厳と国益を護る会」代表幹事:青山繁晴)は、戦後に皇籍を離脱した旧宮家を皇籍に復帰させることを求めている。そこまでして男系男子にこだわるのは、それが日本の「伝統」だからだというのだが、彼らがいう「伝統」とは、父方の血統をたどれば神武天皇に繋がり、男系による皇位継承が126代にわたって一貫して行われてきた、というものだ。神話上の人物と血が繋がっていることが権威であるという宗教観が全面に打ち出されており、非科学的で荒唐無稽な主張である。
当然、このような主張はあまり受け入れられていない。時事通信の世論調査によれば、皇位継承を男系男子に限る現在の制度に「こだわる必要はない」と回答した人が76.1%に上り、「維持すべきだ」と答えた18.5%を大幅に上回っている。「こだわる必要はない」と回答した人のうち、女系天皇も認めることになる「男系にこだわる必要はない」と答えた人は94.6%にも達する。女性差別的な「伝統」を改めるべきだと考える人が多いことは、本来は歓迎すべきである。しかし、これらは、決して女性皇族の人権を擁護するための政策ではなく、天皇制の延命策として議論されていることに注意する必要がある。むしろ天皇制は「象徴」の名のもとに新たな差別と抑圧を生み出していることを忘れてはならない。ジェンダーと階級の視点から天皇制の本質を捉えよう。
女性・女系天皇「容認」論に残された課題
天皇制は血統を絶対的基礎とした家族制度によって成り立っている。現在の皇位継承制度では、一夫一妻制かつ養子も認められない以上、出産は義務ともいえる。一方、男性側には「孕ませる」義務が発生する。このように生殖を強制する義務があるからこそ、天皇制は存続できている。天皇や皇太子が女性になろうとも、皇位を継承させるために、血の繋がった後継ぎを産むことを強制されることは変わらない。日本の「伝統」を守るために、本人の意思とは関係なく、結婚・出産を求められるのだ。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(日本国憲法第1条)である天皇制は、このような保守的な性規範の上に成り立っているのだ。
結婚・生殖を前提とした天皇制は、異性愛規範と男女二元論に支えられている。日本の「象徴」である天皇の地位には、結婚・生殖をしたくない人・できない人や、同性愛者やトランスジェンダーなどセクシュアルマイノリティーの存在など想定すらされていない。「性的マイノリティーの方など、多様な性を持つ人びとが天皇になることも認められるべき」(AERA 2019.6.14)などと共産党・志位委員長は主張しているが、これは全く非現実的な論理であり、天皇制容認の立場に転落した共産党が、天皇制そのものの本質を誤魔化すことで、自らの論理破綻を覆い隠そうとするものだ。
大前提として、女性・女系天皇を認めても、差別はなくならないことを確認しなければならない。天皇が女性になったところで、資本主義社会で女性が置かれている厳しい現実は何一つ変わらない。天皇の力で、女性に多い低賃金が改善されたり、セクハラや性暴力がなくなったりすることはない。ジェンダー平等を目指す政策とは、全く趣旨が異なることに注意を向ける必要がある。
天皇制は階級を隠蔽する宗教
それでも、現状より“マシ”な選択肢として女性・女系天皇を「容認」してもよいと考えることも出来るだろう。しかし、見逃してはならないのは、天皇制は性差別以外の他の差別も強化していることだ。
その最たるものが、階級差別である。そもそも、資本主義社会においては、一握りの資本家階級と圧倒的多数の労働者階級という二つの階級が厳然と存在している。資本家階級は労働者階級を搾取・支配し、両者は階級闘争を繰り広げている。この階級社会の中で、天皇は「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」として君臨し、日本・日本国民を一つにまとめあげる役割を果たしている。天皇制は「みな日本国民であり、天皇陛下の前では一人の日本人である」「天皇陛下は日本国民のために日々祈っている」などといった宗教的言説を通じて、階級差を隠蔽している。つまり、資本家も労働者も同じ国民として統合することで、社会の矛盾はそのままに労働者から労働者階級としての自覚を奪い、資本家に追従する無力な存在へと仕立てあげるのだ。皇族は、働きもせず税金によって賄われる生活費で暮らし、各国の上流階級との社交に励み、豪華絢爛なパーティーに出席するなど、労働者階級を何一つ象徴していない。天皇制の存続に加担することは、階級差別の存続に加担することと同じだ。
そもそも天皇制は明治維新の過程で「尊王攘夷」の掛け声の下、国民統合・国家統合の手段として担ぎ出されたものであり、その統合に反する者を暴力で制圧してきた。戦前・戦中期には、天皇制に反対する人物は不敬罪や治安維持法違反をでっち上げられ、苛烈な弾圧に遭った。特に、その標的となったのは共産主義者であり、天皇制に反対しただけで次々に拷問をかけられ、少なからぬ人々が死罪になった。不敬罪や治安維持法が廃止された戦後も、公安警察による反天皇制運動の監視・弾圧は続いている。
さらに異なる民族・地域を日本に統合するためにも、天皇制は使われた。アイヌ・沖縄での同化政策、朝鮮・台湾での皇民化政策など天皇崇拝を強制することで、日本への統合・同化を迫った。こうした統合により、日本の国策たる戦争の遂行に利用したのである。天皇制による民族差別と戦争責任は地続きである。
天皇制反対の運動が必要だ
強制と弾圧によって国民を統合する天皇制のあり方は、現在も健在だ。改元・即位のあった2019年は、日本全土で天皇制祝賀キャンペーンの嵐が吹き荒れた。政府は、代替わりを国民こぞって祝うように求め、祝意の強制に抗議する市民を即位式当日に逮捕する弾圧に手を染めた(逮捕された3人はいずれも不起訴)。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」では、昭和天皇の写真が燃えているかのような演出がある作品に対して「不敬罪」「陛下への侮辱を許すのか!」と右翼から抗議が殺到し、企画は中断に追い込まれた。
皇位の男系継承をかねてから主張している竹田恒泰が「(天皇制が女性差別というなら)天皇そのものが差別の根源」と開き直ったことは、天皇制の本質を正しく暴露している。無数の差別や抑圧の上に成り立つ天皇制を延命させることは、不正義を助長することになる。女性・女系天皇、ジェンダー平等の議論が盛り上がっている今こそ、天皇制の差別的な本性について考えよう。
マルクス主義学生同盟中核派は、戦前を思わせる天皇祝賀の強制・弾圧の情勢下で一連の反天皇制行動を貫徹し、キャンパスから天皇制反対の声をあげようと呼びかけてきた。天皇制と一貫して闘ってきた責任ある党派として、2020年も反天皇制を訴える。
私たちを「象徴」できるのは、一人の天皇ではなく、私たち自身だけだ。天皇制を廃止し、労働者が主人公の新しい社会を作ろう。■